語られないiPhone 11 Pro Max

私は大人の事情という言葉が大嫌いです。
大人の事情という言葉が使われるとき、そこには必ず歪みが伴うからです。
しかし、大人の事情なくしては社会を維持できない。それが人間というものです。
好き嫌いは置いておいて、大人の事情とは向き合わなくてはいけません。

私にとってあらゆる事柄の情報源はインターネットです。
電子機器に関する情報は、それに特化したニュースサイトから得ています。
ニュースサイトの運営者や、そこに掲載される記事の執筆者には、彼等の事情というものがあります。
そのような大人の事情は、電子機器の紹介記事から否定的な文章を消し去ってしまいます。
嘘は書かない。しかし閲覧者に与える印象は良いものとならなければいけない。
記事が紹介する製品の印象が良いものとなるように無理をすれば、一見肯定的な文章のようでも矛盾がある。というような記事になってしまうこともあります。
プロのライターであるが故に付きまとう大人の事情。それによって生じる歪み。
とある記事では、iPhone 11の背面カメラレンズの出っ張りを肯定的に表現していました。
無理すぎる大人の事情ですね。

そんな大人の事情によって語られないであろう、iPhone 11 Pro Maxの致命的な短所を発見してしまいました。
それは、「重さ」です。
余談ですが、Appleの技術仕様のページでは重量という項目名になっています。
正しくは重量ではなく質量だと思います。
最新の学習指導要領は知りませんが、重量と質量の違いは義務教育の範囲で学習するはずだと思うので、特に製品案内ではなく技術仕様のようなところでは、重量ではなく質量と記したほうが良いと思います。

話を戻すと、iPhone 11 Pro Maxが重いことは致命的な短所だと思うのです。
私がiPhone XS Maxを買ったとき、使い始めたときには気付かなかったけど、使い続ける間に気付いた短所は、重いということでした。
人並みの筋力があって正しい姿勢で使用するのであれば、どうということはないのかもしれません。
私の筋力と使用方法では、iPhone史上の最重量記録を更新したiPhone XS Maxは手首への負担を無視できないものでした。
それまでの私にとって、スマホが重いことは重厚さを示すもので、あらゆるものが凝縮されているかのような印象は、心地良いものでした。
ある人が言った「次の課題は軽量化」、iPhone XS Maxはそれを思い出させるものでした。

iPhone 11 Pro MaxはiPhone XS Maxを超えて更に重くなりました。
208gが226gになったところで、18gぽっちがどうしたというのだ。そういう人がいるかもしれません。
違います。
「8.6%の重量増加」なのです。
自動車の後部座席に大人2人を乗せたら、明らかに加速が鈍くなったことを感じるはずです。
明日から5kgの重石を背負って生活しなければならなくなったら、その疲労を無視できないはずです。
iPhone 11 Pro Maxの重さとは、そういうことです。

19-9/20になれば、「開封の儀」や「使ってみた」という記事や動画が溢れかえることでしょう。
その中で、重さに触れる人がどれくらいいるでしょうか。重さに触れて否定的な意見を持つ人がどれくらいいるでしょうか。
全てが大人の事情に支配されているとは言いませんけどね。