iPhone 11よ、恥を知れ

人間は獣とは違います。
人として社会生活を送る上で忘れてはならないこと、それは尊敬と感謝だと思っています。
私は、自分ができないことをできる人を尊敬し、それらの恩恵を受けることができるということに感謝します。
工業製品に対しても同じです。
私が生涯をかけても到達できないような着想や技術による製品を作った人たちを尊敬し、そのような製品を手にすることができるということに感謝します。

しかし、市場の常識的な水準に満たないのにいっぱしの価格を設定するような製品や、新型になって機能が劣化するような製品は別です。
私には作ることができない性能を備えていても、侮辱させていただきます。
iPhone 11のことです。
競合他社の追随を許さないような素晴らしい製品だと思いますが、2つの失望があります。


【1.カメラの出っ張り】

私はiPhone 11のカメラレンズの出っ張りを心の中で「二重出っ張り」と呼んでいます。
背面パネルのレンズ部分の四角い領域が出っ張り、更に個々のレンズが出っ張っています。
厳密には、レンズの枠となる金属部分から、更にガラス部分が出っ張っているので、多重出っ張りと言ってもよいかと思います。

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iPhone 11の背面カメラレンズ


工業製品に100%完璧であるということはあり得ませんが、誰よりも完璧に近付いてくれるのがAppleだと、私は思っています。
だからこそ、このような無様なカメラが許し難いと思います。
iPhone 6で初めて背面カメラレンズが出っ張ったとき、その突起寸法はまだ可愛いものでした。
iPhone 7ではレンズ周囲のパネル部分をなだらかに盛り上げることで、出っ張りを目立たせないようにする努力をしていると感じました。
ところがiPhone Xでは開き直ったかのように大きく目立つ出っ張りとなりました。
そしてiPhone 11です。

かねてより私にはカメラレンズの出っ張りに対する個人的な意見があります。
それは、カメラレンズに合わせて本体を厚くしてしまえばいいというものです。
本体の体積が増した分、バッテリーの容量を増やすなり、ヒートシンクを設けるなりして性能を高めれば良いと思います。
当然、薄さという武器において他社に隙を見せることになりますが、不細工という「非」機能美に比べれば、厚い方がまだましだと思います。


【2.3D Touchの廃止】

Appleの中の人とて一枚岩ではないと思います。
3D Touchの採用も廃止も、充分な議論がなされた上ではあっても、最終決定は偉い人という一部の人が決めているのだと思います。
私にはAppleの中の人の声が聞こえるような気がします。
「3D Touchの実装にどれだけ苦労したと思ってんだよ。結局廃止かよ。旧機種が絶滅するまでサポートは必要だってのによー」
みたいな。
また、関係会社の中の人の声も聞こえるような気がします。
Apple様が仰るから、こんなにも高コストなセンサーを無理な低価格で提供させていただいたのですけどね。我が社の企業努力な何だったのでしょうねー」
みたいな。
私の事情としては、私が開発しているアプリに3D Touchを利用した様々な機能を実装する構想がありましたが、それらを破棄しなくてはいけません。
誤解がないように申し上げるなら、私は3D Touchを秀逸なインテリジェンスの賜物と思っています。
だからこそ、それを活用したいと思ったのです。

一度採用したものを取り止めるということは、それが誤りだったと認めることと同義です。
Appleは、3D Touchが失敗だったと認めたのです。
重要なのは、それをAppleの旗艦製品であるiPhoneでやってしまったということです。
3D Touchの知名度や利用頻度が上がらなかったとしても、良い物として採用したのであれば、Appleは3D Touchに対して自信を持ち続けるべきだったと思います。
3D Touch廃止の理由は明確にされていませんが、それがiPhoneの製品価格を下げるためというのであれば、それは最悪だと思います。


以上が、私がiPhone 11に抱く2つの失望です。
とても大きな失望です。
心の中で、iPhone 11よ、恥を知れと侮辱してしまうのです。