アプリの意匠設計の話

ウィキペディアでは「タブレット」と「タブレットPC」を別物として区別しています。
タブレット」には、例えば錠剤や石版など複数の意味があって、それらの意味を混同しないことの方が、電子機器の「タブレット」と「タブレットPC」を区別することよりも重要だと思うので、私個人的には「タブレット」を広義の「タブレットPC」と解釈して「タブレットPC」と表現した方がよいと思っています。
なのでついつい「タブレットPC」と言ってしまいそうになりますが、公の場では正しい言葉を使うように心掛けなければいけないですね。

私はそのタブレット (OS:Android) を常時点灯状態でデスク上に設置し、天気予報やスケジュールなどの日常における補助的な情報の常時表示用機器として活用しています。
日中の画面点灯と夜間の画面消灯を自動で行うようにマクロを組んでいるので、このタブレットに触れることはほとんどありません。
ほとんど触れませんが、稀に気が向けば手動でソフトウェアのアップデートを行うことはあります。自動アップデートは当然OFFです。

先日、Yahoo!天気をアップデートしたら、ウィジェットフラットデザインになりました。
アップデート前との比較論ですが、アップデート後のフラットデザインウィジェットが非常に見難い。
枠線が無いのでウィジェットとホーム画面の境界がはっきりしないことや、ウィジェットの背景色が1色だけなので表示項目の区分が強調されず表示が雑多になったことなどが原因です。
フラットデザインを使いこなせていないのです。
流行りに乗っておけばいいでしょ、という程度の考えしかないのだと思います。

iOSWindowsが初めてフラットデザインを採用したとき、Web上には肯定的な意見が散見されました。が、当時から私はフラットデザインには懐疑的でした。
アプリ開発を行うようになった今では、フラットデザイン採用の利点は作成者側のみにあって、利用者にとっては欠点しかない、と確信しています。
環境がフラットデザインで統一されており、アプリをそれに合わせることは、意匠設計のコストを大幅に下げます。
立体的に見せるという加工が不要になるので、アプリ開発がとても楽になるのです。
しかし、ここはボタンとして押せる場所であるとか、スワイプして画面を切り替えることができるなどの、操作できる部分だということの強調を希薄にします。
また、見出しと本文の区分など、視覚に対して抑揚を付ける手段を減らし、意匠設計のバランス調整を困難にします。
その結果、利用者は見難い、分かり難い、という欠点を押し付けられるのです。

フラットデザインに切り替えることによって上記の欠点を得てしまったソフトウェアには、インテリジェンスが欠如しているという感想を覚えてしまいます。
「参考にする」と「パクる」の違いが、そこに表れるように思います。
私は先人を真似ることを否定しませんが、そこには良い物を作るという信念が必要だと思います。
利益のみに目を奪われて他人の褌で相撲を取るようなことをするから短所の存在に目を配ることができず、改悪につながってしまうのです。
良かれと思ってやったことではなく、パクった挙句に失敗した、という一例を、Yahoo!天気のアップデートに見たように思いました。

これはフラットデザインに限った話ではありません。
ものづくりに携わること、それは他人に誇れる素晴らしいことだと思います。
ですが、ものづくりの目的は金銭的な利益ではなく、常に「良い物を作ること」であってほしいと願います。